▲奇忌怪会飲み会での写真。おわかりいただけるだろうか……
前回のあらすじ……
ホラー映画研究会が無いという事実に少なからずショックを受けた私は……
その時はたしかにショックは受けましたが、その時点では「だったら俺が復活させてやろうじゃないか!」というアクティブな心は大学に入りたての一年生だったので持ち合わせて居らず、「じゃあ、しょうがないなー」といった具合で、そんなことを忘れつつも一年生の前期が終わり、夏休みに入ります。
夏というホラーには欠かせない季節になったものの、私の夏休みは旅行に行ったり、学祭で行う音楽フェスの準備や学科の課題をやっている間に過ぎてゆき、すっかりホラーなんて物は私の中の奥底に沈んで行っていました。
此処で余談を挟むと、高校生の頃から心霊スポットにはちょくちょく足を運んだりしていたのですが、そういう時はいつも夏が終わり、夜は少し肌寒くなってきた頃、つまりは9月頃に自転車をこいでいくことが多かったです。
なんとなくこれを食べないと夏が終わった感じがしない。みたいなものに近いと思います。
そして夏が終わりかけの9月10日。
夏休みも残り少なくなり、やり残したことはもうないなという思いで日々を過ごしていた私は、ふと思いついてPCを開き、山形の心霊スポットを調べながら心の底からわくわくしていることに気づくのです。そして、友達二人に声をかけ、奇忌怪会
(その当時はまだ名前など無かったですが)の最初の活動である「第一回目の滝不動訪問」をするわけです。今年の夏を終わらせるために。
滝不動の事については
先日行った記事と状況も交通手段もルートも似ているのでここでは省略させてもらうとします。追々、当時の事を書いてもらうかもしれませんね。
兎にも角にも、上山にある滝不動明王へ夏の終わりに行ったことがきっかけで「ホラー研究会」というのが、その時の行った興奮覚め止まぬままのノリで作ってしまったところもあります。
第一回の取材に行ったときのメンバーを半ば無理やり入れて、他のメンバーを探すところから始めていきました。この段階で今のグラフィック関係で大きく助けられているトモロー会長に話をした時に、それまで「ホラー研究会」という安直な名前だったものから今の「奇忌怪会」という名前が付けられるわけです。なぜ「奇忌怪会」という名前になったのかは本人に書いてもらう事にして、私からこの会が発足するまでの回想は以上になります。
今後の目標としては5万円の元手からどこまでグッツが売れて利益がだせるか。とりあえず東北の心霊スポット(の近くにある温泉)は行っておきたいなー。という2点です。
今後ともよろしくお願いいたします。(@hyuuga)
[0回]
PR