お岩さん特集 第二弾!
と、いう事で今回はお岩様のお墓がある「妙行寺」にやって参りました。
まず迎えてくれたのが4m以上あると思われる大きな菩薩様が乗っている供養塔
こちらの菩薩様。下の円柱に書いている通り
うなぎ供養のための菩薩様です。
このように「犠牲食用うなぎ乃霊ナンチャラ」と書いている卒塔婆がたくさんありました。
これにはびっくりしましたねー
お岩様のお墓と聞いてやってきたのに
うなぎなんですからね。
これは都内にある全てのウナギ屋さんの菩薩心により建てられた供養塔ですとあり、
お魚屋さんにて犠牲になった生類の供養塔もあります。
これは何故なのかと調べた所、
1604年(慶長9年)日善の開山により麹町清水谷に創建されたのにはじまる。1624年(寛永元年)四谷鮫河橋南町に移転、現在の西巣鴨の地に移ったのは、1909年(明治42年)のことである Wikipedia引用
とありまして、この「鮫河橋南町」という地名になにか由来があるのかと思いましたが
まぁ、四谷という土地はそれなりに東京湾に近いと言えば近いですが、そんなにお魚屋さんが多いとか、鰻屋さんが多いとかは聞かないんですよね……
結局、調べてもよくわかりませんでした
今度、訪問した時にその由来などを聴けたらと思っております。
そして、看板にある通りに本堂の裏手にある墓地の奥へ進むと、あのお岩様のお墓がありました。
お岩様のお墓の周りにだけ以上に「卒塔婆」が多くて異様な雰囲気を醸し出していました。
(記事の一番の写真がそれです)
なぜ卒塔婆が多いのかと言いますと、前のお岩稲荷レポの記事でも書いたと思いますが
お岩様は非常に田宮稲荷を信仰しており、それによって生活の質が上がったと他の人が捉え、真似するようになりました。
それが何時しか、信仰の対象が「田宮稲荷」から「お岩様」へと変わっていったのです。
そのため、お岩様に願いを聴いてもらうと良いよ。という風になり願いを卒塔婆に込めてお祈りするようになったというわけですね。
これは寛永から江戸、そして現代へと伝わった伝言ゲームですね。
今後は映画「呪怨」の貞子がこれに加わってさらにややこしくなるんじゃないですかねぇ……
それはともかくとして、此方の妙行寺の墓地は、お墓フェチ(?)の私にビビッ!!とくる墓地でした
墓地を見下ろす形で廃校になった小学校があったり、古い踏切があったり、下の写真のような狭い路地を通ってここまでやってきたので、とても楽しい散策でした。
是非、ゆっくりと巣鴨一帯を散歩してみるのもいかがでしょう?
以上。西巣鴨にある妙行寺訪問レポートでした。(Hyuuga)
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